父の日②

感情

父との思い出

いつだろう・・・普通に話ができるようになったのは・・・

30歳で妊娠、31歳で息子が生まれた。

産後21日までと思ったが、それ以上実家で養生した。

20歳で授かり婚をした妹の子が、父と母にとっては初孫。

父は50歳でおじいちゃん、母は45歳でおばあちゃんになっていた。

父、母にとって私の息子は4人目の孫。

思いのほか可愛がってくれた。

息子を通してのお願い事はしやすくなった。

例えば、おむつを買ってきてとか、

お風呂に入れてとかお願いすると父は喜んでしてくれた。

母に言わせると父は、自分の子どもの子育てはあまり・・・

だったようだ。

変化した父

息子の話題を介して会話ができることは、

私にとって嬉しいことだった。

喜びもつかの間の2005年夏、

生後6ヶ月になる私の息子を抱いていた父は、

一緒に入ったスーパーマーケットで急性心筋梗塞になったようだ。

詳しく言うと、スーパーで何らかの異変を感じながらも、

私たち家族には症状を伏せて、自分で車の運転をして自宅に帰った。

自宅に着くとトイレに直行し、

そしてそこから出てこなかった。

数分後、トイレから出た表情は青ざめていた。

楽観的な母と私は、寝室で休むように、と父をいざなった。

しかし、布団の上で、また一回り小さくなっていた。

スゴイ汗をかいて苦しそうな息をしていた。

あわてて救急車を呼んだ。

総合病院に運ばれた父は、

人柄のいい循環器内科Drと出会い、

そして懸命な治療で一命を取りとめた。

もう数分遅かったら危なかったと。

2週間ほどの入院で完全に回復した。

愛犬みるく

父が退院し、ほどなくすると、

愛犬のみるくの具合が悪くなった。

保護された犬、でもお行儀のよい子で、

父母にとってかわいい4番目の〝子ども”になり、

家族の一員として大切な存在になった。

17歳という高齢だったので、いつかは・・・

というのがこのタイミングになってしまった。

父は、「みるくが俺の病気を持って(あの世へ)行ってくれたんだ」

と男泣きしていた。

そんな姿を見たのは初めてだった。

仕事一筋だった父は、

日課になったみるくの朝晩の散歩がなくなり、

少しペースは緩めたものの、仕事に復帰し、

そして内科、いびき外来、歯科など通院が始まった。

#父の日①