父
母はがんセンターに通院していたが、
10年間、再発がなく、
その日は卒業できるかどうかジャッジされる日だった。
母の受診中、私は父を乗せて、神社にお参りに行った。
父と2人で出かけるのは本当に珍しいこと。
少し足を引きずっていたものの、
神社の階段の上り下りができて上機嫌な父だった。
その後、父から、
「姉ちゃん(私の伯母)が入院していた病院に連れて行ってくれ!」と頼まれた。
自分から頼みごとをすることは本当に珍しいことと思った。
伯母さんはいろいろな持病があり、長く入院していた。
身元引受人だった父のところには
伯母さんや看護師さんからじゃんじゃん電話が来ていた時期があった。
病院へ何度も行ったり来たりしていた過去を思い出しながら、
旧跡地と現在の病院をじっと見たり、写真を撮ったりしていた。
その1ヵ月後、父は脳出血で倒れ、10日後、永眠。
その日、仕事を優先にして、急変に駆け付けてあげられなかった・・・
ごめんなさい。
母
父の葬儀の頃は、私より食欲があった。
あとで振り返った時、その前から、
からだの異変が起きていたようだ。
まず、食欲がなくなった。
24時間365日そばにいた父がいなくなったことで
悲嘆にくれているだろうから仕方がない、
と様子をみていたが、
ある日、食事を一緒に摂ると、母は嘔吐して、
以降、あんまり食べなくなった。
母は自ら開業医、総合病院を受診したが、正常値。
でも、確実に痩せていった。
さすがに、もう一軒の病院の脳神経内科へ行く計画を立てた。
母は、「私は消化器系よ!」と言い、拒否した。
真夏のある日、実家に泊まりに行っていた私の息子から、
「ばあちゃんが難儀そう」とSOSがあった。
妹に受診の協力を頼んだ。
膵臓がんステージⅣ。
えっ、ええーーー???
主治医Drは、食べられない母の入院を受けてくれ、
24時間持続点滴で栄養を与えてくれた。
手遅れかもしれなかったが、丸山ワクチンという民間治療に協力してくれるなど、
いろいろ尽くしてくれた。
コロナ禍だったが特別、面会許可を出してくれたので
週2回はだれかしら行って、母を励ましていた。
抗がん剤で抵抗力が弱くなっていたが、数値が落ち着くと、
自宅への外泊も許可してくれた。
丸4カ月、何も食べられなかったが、面会時のカフェオレだけは飲めた。
最期の日、東京在住の弟は間に合わなかったが、
妹、母の孫4人と一緒に看取れた。
父と母
同じ年に父と母が亡くなった。
しかも、亡くなった月は違うけど父も母も8日の日。
通夜、葬儀も同じ日時になった。
ちなみに、父と母は誕生月は違うが、27日生まれ。
今は聞けないがツインレイ?
2人分の闘病とお見送りは次から次へと手続きに追われ、
私の気持ちはわりとしっかりしていた。
でも、母がもう1ヵ月、長く闘病していたら、
こっちが倒れていたかもしれなかった。
気力がギリギリのところでのお別れだった。
私は、ヤリ切った感、今までの分の恩返しができた感、
そして悲しみ切った感があり、
それ以降、父母に押し込められていた過去の恨みより、
不思議な充実感と感謝があふれた。
この世に産んでくれてありがとう・・・
お世話をさせてもらうことができて嬉しかった。
ありがとう・・・